由 緒



高尾神社は社伝によると鎌倉時代には既に町内宮ヶ迫に創建されており、永禄年間(一五五八~七〇)現在地に遷座されました。古より地域民衆の神として帯中津日子命(仲哀天皇)産業繁栄の神・息長帯比売命(神功皇后)安産子育ての神・品陀和気命(応神天皇)開運厄除の神・外相殿四柱を奉斎し、焼山全域の総氏神として御鎮座しております。今日まで、氏子崇敬者の生成発展諸業の隆盛を導き給い篤く崇敬を集めてまいりましたお社です。

近年では、初詣・厄除大祭お多福通り抜け・夏越大祓・例大祭等の年中祭事をはじめ平素の厄除等の諸祈願祭には、市外のみならず県外からも多くの参拝を頂いております。

元は八幡神社と称しておりましたが、明治五年に高尾神社と改称されました。その後明治四十三年、神山神社を合祀しました。昭和八年現社殿を再建・正面石段と西側石段・鳥居・注連柱等が建立され、同年旧本殿と共に神山神社を旧地へ遷座しました。

昭和五十年に、御遷座四百年を迎え奉祝事業として玉垣三百四十基を建立されました。平成十四年、老朽化著しい神饌所に替わり新たに参集所を造営すると共に、参拝者の利便を図り社殿前石段及び大前が整備されました。

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